「三陸海岸大津波」を読んで

1984年に出版された吉村昭著作の「三陸海岸大津波」を改めて読む。
明治29年(1896年)に起きた三陸の大津波では、今回の東北の大地震を上回る
2万6千人以上が亡くなっている。
被害はまさに今回の東日本大地震と重なる。特に宮城、岩手の被害が甚大で、
気仙沼ではなんと人口の2割の方が亡くなっている。
吉村氏は、この明治の大津波で生き残った人を訪ね歩き、丁寧に聞き取り
記録を残している。
誰もが言うのが、津波の起きる前に「ドーン、ドーン」という大砲の砲弾のような
音が聞こえたということや、海上に不思議な快火が見えたということ。
今回の津波ではそういう話は聞こえてこないが、もし夜だったら見えたのだろうか。
また、地震が来る数週間前から、見たこともない魚の大豊漁があったという。
本マグロの大群が海岸近くに押し寄せた話も書かれている。

宮城県名取市にて(2011年5月)

入浴中でひのきの風呂桶と一緒に津波にさらわれて
風呂桶がボートのようになり助かった人もいたという。
津波の高さは、正確に測るすべはなかったようだが、ある津波に襲われた
お宅で話を聞くと40メートルの高台にも登ってきたという。
三陸はこの明治の津波だけでなく、幾度となく津波に襲われている。
昭和8年にも大きな津波に襲われ3千人近い方が亡くなっている。
こちらは3月3日ひな祭りの夜だったそうで、寒さが厳しく、そのために
命を落とした人も多い。今回の津波との共通項も見えてくる。
この時も、予兆として、井戸の水がひいたり、海面に閃光を見た人が多かったそうだ。
明治の時と同様に、地震の後、大きな爆発音や砲声のような音を聞いた人が多い。

宮城県東松島市にて(2011年5月)

吉村氏も書の中で言っているように、三陸は地形的に津波の影響を大きく
受けやすい場所であり、それは歴史が物語っている。
また、明治29年の津波でもその高さは記録に残っているものでも
20メートルは超えているのだ。
女川の原発も大きな被害を受け、危機一髪だったということだが、
福島は海外線に建てられ、政府の事故調査委員会の報告書でも
15.7メートルの津波の試算を伝えられながら「仮の試算であって実際には来ない」ととらえ
、東京電力は対策をとっていなかったことがわかる。
またそれは、対策費用が多大にかかること、「対策を講じると『安全は十分確保されている』
と説明してきたことと矛盾してしまうから」ということから対策を
とらなかったという。
また、「想定しだすときりがない」という理由で、
これだけの津波の記録がありながら、真摯に受け止めていなかったわけだ。

昭和8年の大津波(釜石市)

吉村氏の本を読んだ後に、政府の事故調の報告書を読むと
今回の福島第一原発の事故は明らかに、人災であるということがわかる。
今までの記録や有識者の数々の指摘、津波の試算が目の前に差し出されながら、
また、電源喪失のことでさえ保安院に指摘されながら、本当に何もしていなかったのだ。
地震多発国であること、今までの津波の歴史や地形から考えて、どんなシロウトでも
少し考えればその危険性は認識できたと思う。
それが、保安院や安全委員会など人もお金もあれだけつぎこみ、高い電気代を払って
こういう結果になってしまった。「想定外」では決してないのだ。
東北や汚染された地域の人たちの悲しみ、苦しみを
考えると、ほんとうにこういう記録がいかされなかったことが悔しい。
もうすぐ3.11から1年。いろいろなことが明らかになるにつれ、思いも募ります。

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