忘れない

毎日新聞社の取材で、宮城県の名取市、東松島市に行ってきました。
やはり現実は、想像を超えていました。
まず伺った名取市の高舘小学校。
こちらは、BBCが「巨大な津波によって地図上から姿を消した」と表現した
閖上地区の方々が避難所としている。
市役所の方にいろいろお話を聞く。
そろそろ今月から仮設住宅への引っ越しも始まると聞いてすこしほっとした。
避難所になっている小学校で、おばあちゃんがもくもくと雑草を
抜いていた。
整然と静かに暮らす避難所の人々。しまいこんだ悲しみを
いつかはちゃんとはきだしてくださいね。

大きな被害を受けた閖上地区。
三陸と違って、どこまでも続く平野で高い所がない。
津波は海から6mも押し寄せたそうだ。
閖上小学校も孤立し、周りは多くの人が流された。
でもよく見ると、校庭に中学生が植樹した桜があった。
4月に植えたよう。ひまわりも・・。
何もなくなった校庭にひまわりが咲いてほしい。

閖上小学校の体育館は津波で流された思い出の品々を保管している。
無数の写真、アルバム。
結婚式の一瞬、旅行の一コマ、赤ちゃんや子供の笑い顔、学校のアルバム
人生の瞬間がこんなに貴重なものだなんて・・。
胸がいっぱいになってしまって、泣きながら見る。
教室の近くには泥まみれのランドセルがたくさん。
この地域では千人以上の方が亡くなる、もしくは見つかっていない。
一瞬にして、流されてしまった人々の生活。
現実を目の前にすると、言葉が見つからない・・。

午後、東松島へ移動。
仙台東部道路は、右と左で全く風景が違う。
高架になっているこの道路でたくさんの人が助かった。
道路で津波が緩衝されて、風景が違うのだ。
日本三景の松島は美しい島々が見られ、津波の被害も
島が緩衝帯になって少なかったそうだ。
ただ、その松島から10分ほどの野蒜地区は壊滅的だ。
たくさんの自衛隊のトラックが入ってくる。
ふと入った建物は保育園だった。
まだ新しく、ホールも立派だったようだが、すざまじい力で
木端微塵になっている。
野蒜駅は、線路がまるで柵のようになっていた。
鉄道も新幹線は全線開通したが、地方の路線はまだまだこんな状態だ。

ほんの少し移動するだけでこんなに風景が変わるとは。
夕方仙台に戻ったが、街ゆく人の普通の風景にどちらが現実なのか違和感を感じる。
とにかく、この風景を忘れないことだ。
今まだ避難所で暮らしている11万人の人々のことを忘れず
痛みを少しでも想像し、支援が途切れないように
続けていくこと。
忘れがちな日本人だから・・。

最近の記事

PAGE TOP